コンサル日記ホーム > 飲食店経営コンサルタントへの道: 2009年8月アーカイブ
「マサが行く」の原作者、原田諦の飲食無料メール相談実施中です
親戚の中華料理店を飛び出し、私はコンデンサーの製作所へ就職しました。電気関係の仕事に尽きたかったことと、電気系統の元になるコンデンサーの会社にいることによってチャンスが生まれると考えたからでした。

そこで、下宿させてもらっていた家の三男と友人になり、彼が努めていた東京時計と言うとラベルウォッチの製造会社へ入社し,精密機械を学ぶことになったのです。

配属は、歯切りという仕事で、時計の針を動かす歯車の製造です。100分の一の精度を保つのですが、この仕事は電気関係の仕事とは全く別なものでああリ、会社の方へ職場の変更を申し入れちたのです。
私は、茨城県の北部にある山村「大子町」という田舎で育ちました。東京から疎開して育てられたのです。自然に囲まれたとてもいい町ですが、育った当時はとても不便な町としか覚えていません。

私は、父親が戦争でなくなり、母親とも一緒に生活をしたことは無く、常に祖母と女中さん二人の女の中に囲まれて育ちました。

母の姉妹3人も全て女性であったことから、とても可愛がられて育ったことを覚えています。
しかし、父が残した財産を田舎に疎開して、祖母が私を育てるために農地を買い込み、小作人を集めて貸していたのです。